「リテラシー」&「ファクトチェック」

「リテラシー」&「ファクトチェック」

現役学校教師の「literacy」&「fact check」ブログ

主義主張が明確=偏向=過激=生活の足しに。

いきなりですが、ここで1つ、質問です。

「いわゆる左派でも右派でもないと思われる評論家やジャーナリストといえば、誰でしょう?」

 

なかなか難しい質問ではないでしょうか?

 

いわゆる「ジャーナリスト」「評論家」「論客」という方々は、有名・無名合わせても、かなりの数います。

その方々は、ほとんど、これもいわゆる「左派」「右派」に分かれています。

 

なぜ、こうもハッキリとわかれているのでしょうか?

 

もともと根底にある考え方がそうなんだ…と言われれば、なるほど。

研さんを重ねてこうなったんだ…そうでしょうねぇ。

 

しかし、最近はそうでもないような気がしています。

例えば、左派系のメディアに登場するジャーナリストや評論家は、左派の方が多いでしょう。

なぜなら、キャスティングする側が「偏向」しているわけですから。

 

例えば、右派のジャーナリストや評論家が登場するメディアは、右派系のメディアが多いでしょう。

なぜなら、自分の意に沿ったメディアの方が、意見を発表しやすいし、受け入れられやすいわけですから。

 

これは、マスメディアが抱える根本的な問題点と言えるかもしれません。

つまり、

「偏向」しているメディアと、「偏向」しているジャーナリストや評論家は、持ちつ持たれつの関係

になってしまっています。

 

残念なことに、現在、「左派」でも「右派」でもないメディアは、ほとんどありません。

個人的な印象では、読売新聞や日本テレビが、比較的それに近いのかなという程度です。

 

この議論をもっと飛躍させると、ジャーナリストや評論家の立場としては、

「左派」か「右派」か明確な立ち位置でないと、マスメディアに取り上げて(使って)もらえない

ということになるかもしれません。

 

どこかの社や教育機関などに所属していれば、多少のお金が手に入りますから、生活には困らない。

しかし、それプラスと考える方や、いわゆるフリーランスの方は、そうはいきません。

目立たなければ、お金を稼げない。

お金を稼ぐためには、目立たなくてはならない。

目立つためには、主義主張が明確であればいい。

明確にするためには、多少ストレート、もっと言えば過激な言動だと、目立ちやすい。

「ストレートな物言い」「過激な言動」「偏向」、…どんどんエスカレートします。

その方が「金になる」からです。

 

こういった、いわゆる「ビジネス左派」「ビジネス右派」には、くれぐれも気を付けたいものです。

なぜかって?

その人たちの言動は、内容や意義が薄かったり、すべて「計算」されつくされてたりしている可能性があるからです。

もっと言えば、その「計算」が、世論を煽ることやお金が入るからといった、本来の議論とはかけ離れたものである可能性があるからです。

 

耳触りの良いコメントや、歯切れの良い文章、過激な言動こそ、注意が必要です。

接する側が冷静に判断し見極める、それこそ「リテラシー」が必要です。

 

私も教育関係者ですから、大学在学中に「メディア論」「歴史学」の授業があります。

そこでよく担当の教授(その後学長になり退職)は、よくこう言っていました。

「学問(学者)や教育(教育者)という仕事は、本来もうからない」

「もうけるために、本を書いたり(自分の著書を買わせて授業で使用)、メディアに出たりする(ネット含む)」

「学者が目立とうとすると見方や主張が偏って事実誤認を起こしやすいから、特に歴史学には向かない」

(おまけ:「新しい歴史教科書を作る会とか扶桑社なんてその典型だ」)

 

ただ研究や調査をしているより、本を書いたりマスメディアに登場したり講演会に出る方が、儲かりますよね。。。

 

左派の方でありながら、右派のマスメディアで活動する。

その逆もしかり。

 

左派のマスメディアに、右派のジャーナリスト・評論家が出ている。

その逆もしかり。

 

このような方を信用したいし、活躍してほしいのですが、、、いないなぁ…